先輩専攻医から見た
当講座の魅力
もともと小児科医を志していました。昭和大学藤が丘病院での初期臨床研修を終え、
小児だけでなく”目の前のすべての人に対応できる医師になりたい”と昭和大学で救急専攻医をスタートしました。
欲張りな専攻医研修
勤務は完全シフト制のため、超急性期医療の充実した研修とともに臨床、教育、研究、プライベート、収入のバランスが保たれており欲張りな研修ができるのが当科の魅力です。目の前で消えゆく命をつなぎ止めるために必要な臨床力を身につけつつ、専攻医期間に基礎研究・臨床研究・学会発表・論文作成などのノウハウも学び学位を取得しました。災害医療、病院前救急、フライトドクター、スポーツドクターなども経験できます。結婚、妊娠、出産、育児、介護などチームで支え合えるのが魅力で、多様なライフイベントに柔軟に対応できました。
多くの症例による圧倒的な成長スピード
目の前の命と向き合うことで、判断力の無かった過去の自分が変わりました。多くの症例を通して3年間での救命医としての圧倒的な成長を実感します。みなさんを満足させられるだけの症例数と手技がここにはあります。
手厚いサポートとアットホームな雰囲気
サポートも手厚く、医局員の仲も良く、アットホームに研修ができると思います。目の前の命を救うのは医学の根幹であり、当科での後期研修は医師になる上で必須の礎になりますので、一緒に救命医を目指しましょう。見学や相談も随時受け付けておりますので、興味がある方は是非お話をさせてください。私は今後、小児科でのサブスペシャリティ研修を行う予定です。
先輩専攻医の研修スケジュール
~自分はこのような3年間を過ごしました
鈴木恵輔~
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Step01入職~半年
昭和大学病院で勤務を始めました。昭和大学病院での研修の特徴は圧倒的な手技の多さでした。 『説明書を読んでも上手くはならない、とにかく手を動かすんだ。』このように常に手技を専攻医にやらせてくださる指導医の元、あっという間の半年間を過ごしました。研修医時代に感じていた手技への苦手感は半年で完全に克服出来ていました。また、この時期にICLS,JATEC,PALSなどのプロバイダーを取得。自大学主催のOff-the-jobトレーニングにも優先的に参加できるよう配慮して頂いておりました。
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Step02半年~1年
昭和大学藤が丘病院へ異動し勤務しました。藤が丘病院では1次救急~3次救急までのER型診療をしており、幅広い疾患に対応する能力を身に付けられました。また、集中治療専門医施設でもあるため集中治療専門医取得も視野に入れて研修することが出来ました。学術活動も積極的に行い、臨床救急医学会,救急医学会総会、救急医学会関東地方会、近隣大学との研究会など1年目から非常に多くの場で学会発表を経験させて頂きました。もちろん指導医によるバックアップもしっかりしており論文化まで手厚くフォローして下さる体制が整っていました。
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Step032年目
前半は昭和大学病院、後半は秋田赤十字病院(関連病院)で勤務しました。2年目になると屋根瓦式に後輩を指導する立場とり、指導を通して知識の定着や新たな知識や手技の習得など刺激を受ける毎日でした。この時期にJATECのインストラクターなども取得。救急医として教育の大切さも理解しました。秋田赤十字病院では県内唯一(当時)の救命センターとして都会では経験できない地域における救急医療の役割を学びました。またドクターヘリ基地病院のため、約50症例程のドクターヘリ搭乗を含むプレホスピタルの経験を積めました。学術活動としてはSCCMにて初めて国際学会でも発表の機会を頂きました。
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Step043年目
昭和大学病院で勤務しました。専攻医3年目からは統括医師として当日の救命センターの責任者としても勤務することになりました。困った際の指導医によるバックアップ体制は整っているものの、現場に自分しかいない責任感から日々成長の毎日でした。また、基礎研究にも精力的に取り組むことが出来る環境であったため、マウス熱中症モデルを用いて熱中症の病態解明をテーマに取り組んでおりました。
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Step053年間を振り返って 今後の展望
まだまだ研鑽を積まなければならないことは多いですが、3年間で救急医として働くための土台は一通り身に着けることが出来たと考えております。自分を含めて専攻医で子育てをしている医師も多くプライベートの時間も確保されておりました。『大統領のように働き,王様のように遊べ』という教授からのお言葉を体現できたのではないかと思えるほど公私ともに充実した3年間でした。今後は外傷に関わるサブスペシャリティ獲得を目指していきたいですが、ここでの経験を次の専攻医に伝えることが一番の役割だと考えております。ぜひ、当講座で一緒に働き救急医療を盛り上げていきましょう!!!